UBE現代日本彫刻展 -Ube Sculpture Triennale

自分たちの手でまちと暮らしを彫刻する

若林 朋子
プロジェクト・コーディネーター/立教大学大学院社会デザイン研究科特任教授

「“黒い犬”(※筆者註:作品「大首Ⅲ」)に出会うたびに、いろいろな思いがよぎります」「作品に惹かれているのはなぜかと観察すると、また気づきが出てくる。この繰り返しが作品とのコミュニケーションなのかもしれません」― 昨夏、「これからのUBEビエンナーレを考えるワークショップ」[註1]で筆者の話を聞いてくださった宇部市民の方から、後日メールが届いた。
こうしたワークショップが実施されることだけでも、UBEビエンナーレに市民が深く関わっているとわかるが、日々彫刻と向き合って考えたことを折々メールでいただくと、一層実感する。宇部のまちに点在する彫刻1つひとつに、市民個別のエピソードがあることも想像され、彫刻が生き生きと感じられたりもする。
宇部の彫刻は単なるパブリックアートではなく、市民と物語を紡いでいくコミュニケーターのような存在でもあるのだろう。
昨今の地域芸術祭ブームよりも40年以上も前の1961年に、UBEビエンナーレのルーツ「第1回宇部市野外彫刻展」が既に実施されていたことは、ぜひ多くの人に知ってほしい。今年で63周年、32回目を数え、世界で最も長く続いている野外彫刻国際コンクール、ギネス世界記録™になっているとは驚きである。数多ある地域芸術祭のなかでも突出した歴史で、この時間の厚みはそう簡単に追いつけそうにない。
UBEビエンナーレの歴史をひもとけば、「彫刻のまち宇部」が始まった経緯にも、やはり市民が関係していて興味深い[註2]。戦後の荒廃や高度経済成長期の公害問題、青少年の非行といった課題に対して、宇部のまちを花でいっぱいにしようと行政と市民が協力して進めた「花いっぱい運動」が発端だったという。婦人団体が花の種代を集めた寄付金の残りで購入したレプリカ彫刻「ゆあみする女」を市民が大事にする様子が専門家の目に留まり、「宇部を彫刻で飾る運動」に発展していった。地域活性や観光振興を目指す昨今の地域芸術祭とは一味も二味も違う、始まりのストーリーである。自分たちの暮らす宇部の切実な現状を変えたいと願い、行政と連帯した市民運動が、「彫刻のまち」という他にない個性を生み出した。
思い浮かぶのは、ドイツの美術家であり社会運動家でもあるヨーゼフ・ボイスの思想である。あらゆる人間は、自らの創造性によって社会の幸福に寄与できること、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならないとボイスは説く。まさに、宇部市が掲げる「未来を彫刻するまち、宇部市」にぴたりと合致する。全ての人間は社会を彫刻する芸術家であるというボイスの言葉を借りれば、宇部市民もまた、だれもが宇部市の社会を彫刻する芸術家なのである。
こうして、宇部市/UBEビエンナーレは、実体(作品)としての彫刻と、概念としての彫刻(社会彫刻)を60年以上にわたって積み重ねてきた。UBEビエンナーレを、まちづくり に欠くことのできない社会文化資本として、今後どのようにいかしていくか。「文化的コモンズ」[註3]の発想で、宇部市全体を1つの入会地と見なせば、市内各所に設置された彫刻は、地域に暮らす誰もが自由にアクセスできる共有資源である。農林水産資源のような奪い合いや枯渇がないストック資源だ。UBEビエンナーレも共有資源であり、地域に暮らす誰もが参画できる文化的な営みである。市民、地元企業、学校、教育機関、商店街、病院、寺社仏閣、公民館、福祉施設、図書館、ミュージアム、公共交通機関、飲食店など地域のあらゆる主体が、入会地の共有資源としてUBEビエンナーレを活用できる。それぞれの関わりが宇部市全体としての文化的な営みを、より複層的に、多様に、豊かにしていく。
これまでのUBEビエンナーレ60年は、彫刻を起点に宇部市の文化的コモンズを築いてきた歴史と言えるだろう。100周年に向けた、次ステージの展開によって文化的コモンズがどのように可視化されていくか楽しみだ。

[註1 202363日、722日、92日の3回にわたり、市民と共にこれからの彫刻展のあり方について考え、
    存在意義や持続可能なあり方などを話し合うワークショップを開催。筆者は第3回のゲストスピーカー。
[註2]上田芳江(1979)「人づくりの大役担った彫刻」第8回現代日本彫刻展図録
[註3]地域の共同体の誰もが自由に参加できる入会地のような文化的営みの総体

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